シーズン2を見終わりました。
エピソード1 突風
1990年6月10日に怒った事故。ブリティッシュエアウェイズ111便が飛行中、突然コックピットの窓ガラスが外れて飛んで行った。シートベルトを外していた機長は外に吸い出されてしまい、足が操縦桿に引っかかって機体に張り付いてしまう。また、操縦桿を機長の足が引っ掛けている為、操縦不能に陥ってしまう。
駆けつけてきた客室乗務員が足を外して機長の身体を支え、その間に副操縦士が機体を立て直した。副操縦士は就任したばかりの若手だったが、教わったことを思い出しながら必死に操縦桿を握り、最寄の空港に無事緊急着陸した。
副操縦士も客室乗務員も、機長は死んだと思っていたが(この寒さと暴風の中さらされて、生きていられるわけがないと)驚いたことに機長は生きていた。手を離さなかったのは、極めて正しい判断だった。機長は数箇所の骨折と凍傷になっただけで済み、5ヵ月後には仕事に復帰した。乗務員はこの快挙により、表彰された。
事故の原因は窓を止めるボルトに、規格サイズのものより小さなものが使われていたことだった。押さえつける力に抵抗できず、外れてしまったのだ。
エピソード2 傷ついた鳥
1995年8月21日に起きた事故。アトランティック・サウスイースト航空529便(百人も乗れない小型の飛行機)が飛行中、片方のエンジンが破損してしまう。機長と副操縦士は最寄の空港に緊急着陸しようとしたが間に合わず、森に盛大に突っ込んでしまった。衝撃が走り機体が破損したものの、乗員乗客はこの時はまだ全員生存していた。
だが着陸してすぐ、漏れた燃料により火災が発生し、辺りは地獄絵図となってしまった。逃げるには火の中を突っ切らなければならない。また、管制塔は救助を要請するのを忘れていた。幸い、飛行機が落ちるのを見た近くの人が救助要請をしていたものの……。
乗客は炎に巻かれ、駆けつけた近所の人達も何もしてやれない。機長と副操縦士はコックピットに閉じ込められており、副操縦士は窓を破って脱出しようとする。近くにいた怪我の浅い乗客が窓を破るのを手伝おうとしたが、その時にはコックピットの中が燃え始めていた。一瞬、戸惑う乗客。そのまま逃げても、誰も彼を責めることはできなかっただろう。だが彼は踏みとどまり、救助を続けようとした。そして、副操縦士は脱出できた(機長は助からなかった)
火災のせいで死亡した乗客が何名も出た。火災さえ起きなければ、あるいは救助がもっと早ければ、助かった人はもっと多かっただろう。
エピソード3 ハイジャック
このエピソードは事故ではなくハイジャック事件を描いたもの。1994年12月24日、エールフランス8969便はアルジェリアからフランスに向かおうとしていた。離陸直前、警察を名乗る男達が乗り込んで来る。だが彼らはイスラム過激派のメンバーだった。8969便は乗っ取られてしまう。テロリストは人質のうち、二名(アルジェリア人の警官と、ベトナム人の外交官)を本気であることを示すために射殺する。
エールフランスはフランスの航空会社であるが為、フランスとアルジェリア、両政府が揉め始める。その間、機長や乗務員はテロリストと普通に話をし、彼らを落ち着かせようと務めた。その為、人質のうち女性や子供は解放しよう、という話になるが、そこへアルジェリア政府がリーダーのヤヒアの母親を説得の為に連れてくる。母の姿を見たヤヒアは激怒し、見せしめの為に今度はフランス人男性を射殺する(思うのだが、この「母の説得」というものは効果があるのだろうか。逆効果になることが多いような気がするのだが)
アルジェリアに任せてはおけないと思ったフランス側は、自国で解決するために離陸を要請。アルジェリアもフランス人死者が出たことでそれを受け入れざるをえなくなる。ヤヒアはパリに向かうように言うが、燃料が足りずマルセイユまでしか飛べなかった。フランス政府はマルセイユに特殊部隊を配置する。
マルセイユでヤヒアは、飛行機に燃料を満タンにするように要請する。特殊部隊の大佐はヤヒアが自爆テロを起こす気だと気づき、燃料は入れず時間を稼がせようとする。
膠着状態の末、ついに特殊部隊が中に突入することに成功し、テロリスト達は射殺される。コックピットにいたヤヒアともう一名は、ビルの上に配置されていたスナイパーに射殺された。
テロリストは腹いせに乗務員を殺すこともできたが、しなかった。リマ症候群(こちらの方が古いが)になっていたのかもしれない。
三名の死者が出たが、それ以外の人達は皆助かった。だが事件が残した傷跡は深い。大佐、機長はこの番組に、シルエットで出演していた(大佐はテロリストから命を狙われているのだそうだ)
テロリスト達は、飛行機の燃料を満タンにしたら、エッフェル塔に突っ込む予定だったという。だがことを起こす前に阻止することができた。そして、この事件は忘れられてしまった。7年の時が経過するまで。忘れるべきでは、なかったのかもしれない。
エピソード4 上昇か? 下降か?
1995年12月20日に起きた事故。コロンビアに向かっていたアメリカン航空965便は、ベテランのパイロットに操縦されていた。だが途中で些細なミスを犯してしまう。航路を計算してくれる装置の入力を間違えたのだ。行き先は「レゾ」なのに、Rの一覧から一番上を選択してしまったが為に、飛行機は違う方向へと向かってしまう。そして夜であったが為に、この間違いにすぐ気づけなかった。気がついた時は、険しい山脈がすぐ近くに迫っていたのだ。空港ではなく。
飛行機は空港に着陸するために下降している最中だった。何かおかしいと思った時点で上昇し、コースを戻ってやり直していれば、助かったかもしれない。
飛行機は山腹に衝突し、全損した。険しい山のジャングルの中。だがこの悲惨な状況の中で、大学生の男女と、父親と幼い子供達が助かっていた。女の子は残骸の中に埋もれており、男の子は声しか聞こえなかった。父親は必死で息子を探したが、どこにいるのか見つからなかった(少年は木に引っかかっていた)
夜が明ける頃、救助隊がやってきた。生きていた人達は救出されたが、幼い少年は手術室で帰らぬ人となった。救助の手さえもっと早ければ、彼も助かったのだろうか。
エピソード5 空中衝突
2002年7月1日に起きた事故。モスクワから飛び立ったバシキール航空2937便と、ブリュッセルに向かう予定だったDHL611便が、ドイツのリートリンゲン上空で衝突してしまう。飛行機は大破し、どちらも全滅した。
バシキール航空2937便には、多くの子供達が搭乗していた。楽しい旅行の筈であったのに。
衝突の原因は、管制官のミスだった。本来なら二人組で職務に当たるのだが、この時は片方が長い休憩を取っていた(バシキール航空の便はチャーター便であったことを考えると、普段は暇な時間帯なのかもしれない)更に機器のメンテナンスが行われ、レーダーの反応が遅く、電話も通じない状態であった。この状態で一人で二つのモニターを見張り、また別の方向からは別の飛行機も飛んで来ていた。そちらをどうにかしようとしている間に、バシキール機とDHL機は接近していたのである。
飛行機にはTCASと呼ばれる「衝突防止装置」が搭載されている。二つの飛行機が接近した時点で、バシキール機は「上へ」DHL機は「下へ」の警告が発せられた。だが管制官はその事実を知らず、バシキール機へ「下へ」の指示を出してしまう。その指示にバシキール機が従った結果、悲惨な事故が起きた。
このほぼ一年前に、日本でも同様の事故が起き掛けていた。管制官が誤った指示を出し、操縦士はTCASではなくそちらに従おうとした。幸い昼間で晴れていた為、衝突は回避できた(衝突していたらテネリフェを越える悲劇になっていただろう)その時、「TCASと管制官、指示が異なったとき従うのはどちら?」という論争が起きていた。だがその時はまだ結論が出ていなかったのである。
この事件には更に悲しい顛末があった。事故が起きた後、ミスをした管制官はマスコミの集中砲火をくらった。そして二年後、この事故で家族を全て失い心を病んだある男性に、刺し殺されてしまった。彼の死に、マスコミは無責任と言えるだろうか?
エピソード6 ニューヨーク上空
1990年1月25日に起きた事故。悪天候の中を、アビアンカ航空52便はコロンビアからニューヨークに向けて飛んでいた。だが霧のため視界が悪く、多くの飛行機が待機を余儀なくされていた。52便は代替空港のボストンへ向かうべきか尋ねたが、管制官からはしばらく待っていてくれといわれていた。待機しているうちに燃料がつきそうになり、52便は慌てて着陸しようとする。だが管制官にその状況は伝わっていなかった。
暗い中52便は着陸しようと試みたが、ウィンドシアに巻き込まれ果たせずに終わる。もう一度着陸しようとしたが、その時は燃料はほぼ使い果たしていた。そして、あせった結果森の中に突っ込んで大破してしまう。
見ていて少し、管制官ののん気さに唖然としてしまった。本当にここまで状況を理解していなかったのだろうか。お咎めなしというのが不思議なくらいに感じてしまう。
飛行機は大破したが、燃料がほぼなくなりかけていた為か火災は起きなかった。それだけが、良かった点かもしれない。この事故でも多くの人が死亡した。
この番組を見ている間に、日本でまた航空機が衝突しかける事故が起きた。またも管制官のミスらしい。一つ間違ったら大惨事になってしまうということを、忘れずにいてほしいものだ。